日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(9)鷲ヶ岳~剱岳

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鷲ヶ岳

8月29日、高原を横切り林道で標高を上げて、登山口に。30分足らずで御堂のあるいっぷく平に到着しました。鷲ヶ岳(わしがたけ)の名の由来となる藤原頼保公と大鷲が鷲ヶ岳をバックに祀られていました。元々は雲ヶ嶽といわれていた山が、天皇の命を受けた頼保公たちが人々を苦しめていたという大鷲を退治し、天皇に子鷲を献上したことにより、鷲見(すみ)の姓と八つの土地を賜ったことで山はいつしか鷲ヶ岳と呼ばれ、土地の名も鷲が付くことになったそうです。その姿は青空に羽ばたく鷲のような形にも見えました。山頂までは924段の急な木段が続き、登山口から1時間程で登れましたが、この木段の印象は強く残りました。白山や北アルプスは雲が残り見えませんが、そのおかげか、明日登る大日ヶ岳の雄大な姿が際立っています。山頂でゆっくりと過ごして、雨上がりの透き通った空気をいっぱい吸ってから下山しました。

大日ヶ岳

8月30日。前回は強烈な藪漕ぎをした笈ヶ岳(おいずるがたけ)のあとだったこと、節目の80座目だったこと、気持ちいい秋晴れの中を登ったことで、これから登る大日ヶ岳は今も印象深く心に残っています。ここまで中部地方に入ってから、白山信仰泰澄大師(たいちょうだいし)に関係のある山を登ってきました。しかし、未だにはっきりと白山を見ることができていなく、大日ヶ岳は白山に登る前、最後のチャンスとなります。今回はスキー場からの往復コースとなりますが、山頂まで眺めがよく、急斜面にちょっと呼吸が乱れながらも笑顔がこぼれますした。スキー場から登山道に合流してからは、短い区間のブナ林を抜け、秋を感じる場面もありました。山頂のすぐ上に分厚い雲があったため、白山はまた見えないことはわかっていたものの、気は落とさず3年ぶりの山頂に。山頂の大日如来像に挨拶と無事登頂のお礼を伝え、予報よりも早く雲行きが怪しくなったため早々に下山しました。次はこの旅で初めて2000メートルを超える白山。白山の姿を見るのは、白山の次の山に期待することにしました。

 

白山連峰縦走

66座目となる「白山」は標高2700メートルを超え、日本アルプスをも彷彿とさせます。日本三名山の一つでもあり、白山信仰の長い歴史を今も刻み続けています。今回は白山信仰の拠点となる三馬場(加賀、越前、美濃)の、最も長く険しい道のりとされている美濃馬場から始まる美濃禅定道から行くことにしました。9月2日、7キロ上流の登山口へ走りました。微妙な天気予報も白山の神様が微笑んでくれたようで、天気は安定し、時折山にかかる霧も神々しく、立ち込めた雲が一瞬で晴れて、日本海に沈む夕日や神様が眺めているだろう景色をたくさん共有させてもらいました。初めて白山を縦走してみて、南北に連なる稜線は東西で大きく異なることを自分の目と肌で感じます。夜、満天の星空を見上げながら、明日もきっといい山旅ができる気がしました。
9月3日白山縦走2日目、出発時間になると雨は上がったものの、室堂一帯は濃霧となりました。それでも全く見えない御前峰へと向かいました。30分ほどで御前峰の白山奥宮に到着。山頂は目と鼻の先ですが、霧は一向に晴れません。時間天気予報では晴れるはず!!次またいつ白山に登れるか…天気予報を信じて待つ決心をしましたが、1時間待っても、2時間待っても白山の神様は気まぐれで、時折青空が見えるたびに「おっ!おおお!」と撮影スタッフと共に一喜一憂しました。もう限界か、と諦めかけたとき、突然霧が晴れ、白山御前峰からの大パノラマが広がりました。まさに青天の霹靂。白山でゆっくり過ごしたい気持ちをおさえ、翌日には台風が迫ってくるため急ぎ足で大汝山にも立ち寄り、北縦走路へと進みました。西日が強くなった夕方、ようやく三方岩岳にたどり着きました。西日を浴びる白山が神々しいです。2日間安定した天気に恵まれたのは、きっと神様が微笑んでくれたのだと思います。白山から教えていただいた山への心持ちをこれからも大切にします。

大笠山、大門山

9月5日、大笠山に登るのは今回で2度目です。3年前に笈ヶ岳(おいずるがたけ)へのアタック基地として登りましたが、笈ヶ岳への不安や緊張で頭一杯だったために、大笠山の印象はほとんどありません。右手の骨折により笈ヶ岳を含む藪山三座を来春に持ち越すことにしたことで、今回は以前のようなプレッシャーもなくじっくりと味わうことができそうです。つり橋を渡り、いきなりの鉄梯子から登山が始まりました。登り初めて直ぐに、大きなブナが倒れて登山道を塞いでいました。なんとか掻い潜り、さらに登り続けましたが、山頂までに大小の木々が10本ほど登山道を塞いでいました。大笠山のどっしりとした姿は、まさに名のごとく、主稜線に大きく傘を広げたようで印象的です。すっかり霧に包まれてしまいましたが、日暮れ前に3年前も利用した小さな避難小屋に到着しました。これまで全国各地で避難小屋を利用してきましたが、ここは特に気に入っています。定員は5人と小さいですが、建て替えられて間もないことや、山頂のすぐそばのため天気に恵まれれば絶好の御来光を拝むことができます。小屋で久しぶりに自炊をしながら、前回よりも楽しんで夜を過ごしていることを感じていました。


9月6日。南北に連なる白山主稜線の最北端にある大門山(だいもんざん)。大門山はかつて白山信仰の加賀禅定道の入り口だったことで、大門と名がついたそうです。山の西側から見ると富士山のように見えることから加賀富士とも呼ばれているそうです。夜明け前に起床し、大笠山に向かいました。避難小屋から出たときにはすでに太陽の光が空に差し込んでいたため急いで山頂に向かうと、ちょうど太陽が雲の切れ間から太陽が顔を出しました。山頂から御来光を眺めたのは、大峯奥駈道を縦走していた時以来です。太陽が出る瞬間、山や草木、動物たちなどが、一気に目覚める感じがします。風が吹き、ゾワッ!!っと空気が動くこの瞬間がたまりません。小屋に戻り食事を済ませてから、大門山に向けて縦走を開始。中間点になる奈良岳までは、登山道が深い笹に覆われていて、掻き分けながら慎重に進みました。途中、食事中の熊さんと遭遇。ゆっくりと熊さんの方から去ってくれてひと安心です。奈良岳からは草刈りされたばかりの笹に足を滑らせて何度も尻もちをつきながら大門山への後半戦に入りました。遠目から縦走路を見るのと、実際に歩くのとでは全然違い、想像以上に急で大きなアップダウンに、体力を消耗しました。大門山の山頂に立ったときには、ヘロヘロに。でも、満足の2日間でした。

人形山

9月11日、丸四日降り続いた雨がようやく上がり、70座目となる「人形山(にんぎょうざん)」に登る朝がきました。病の母のために二人の娘が山の上の白山権現堂にお参りに行きましたが帰らぬ人となり、それ以来春になると二人の娘の雪形が現れるようになったそう。それ以後、「ひとかたやま」と呼んでいた山が「にんぎょうざん」となったというのが名前の由来です。季節は秋のため人形を見ることはできませんが、山頂からの景色を楽しみに登りました。雨は上がりましたが、降り続いた雨により山は雲が湧きやすく、山頂からはわずかに隣の小さなピークが見えるにとどまりました。宮屋敷跡から小谷川へ下りるルートに入りましたが、50メートル進むと道は無くなり、藪の壁に囲まれてしまいました。尾根の上に道があるはずだと、密集したチシマザサに突っ込みましたが、やっとの思いで地図上の登山道に出ても道はありませんでした。おかしい…事前に役場に問い合わせをしたときは今年の山開きは小谷川から登ったと聞いたはず。後で分かったことですが、問い合わせの時に聞いた話は登山口までの林道のルートで、僕は登山道の話だと勘違いしてしまったのです。200メートル進むのに45分もかかってしまい、早々に断念しました。下山途中で泊まる予定の宿にキャンセルを伝えて、今朝出てきた宿に急遽宿泊予約をしました。夕方、苦笑いをしながら朝出てきた宿へと戻りました。

金剛堂山と白木峰

9月13日、午前中に金剛堂山に登り、午後は白木峰に登ります。3年前に金剛堂山へ登った時は、素晴らしい景色に感動しました。白木峰も山頂部は金剛堂山のような草原が広がり、小白木峰の辺りには湿原もあるようです。初めての山なのでとても楽しみです。登山道を覆う笹は雨に濡れていて、山頂につく頃にはびしょ濡れになりましたが、その不快感も山頂からの展望ですっ飛びました。当初は最高峰の中金剛までと予定していましたが、縦走を始めるとあまりに気持ちよくて奥金剛まで行くことにしました。素晴らしい一時をこの山から頂き、大長谷川へと標高差800メートルを一気に下山しました。その後再び自動車道を経由して、小白木峰まで標高差600メートルを登り返しました。午後になると青空から徐々に雲が広がり、小白木峰への激坂を登っているうちに薄暗くなっていました。さすがに2座目が見上げるような激坂となると、小白木峰の湿原につく頃にはヘロヘロに。それでも我慢できたのは小白木峰の湿原や白木峰の草原が霧に包まれる前に!と思ったからです。雲が谷間からガンガン沸き上がりましたが、なんとか白木峰山頂からの展望に出会うことができました。次は車で8合目まで上がり、青空の下、北アルプスを眺めながら山頂でランチに来よう、そう心に約束して下山しました。

医王山

9月18日、ぼやーっと医王山に登る朝を迎え、ぼやーっと出発して、山へ向かう気持ちが準備できないまま、ぼやーっと坂道を登りました。自分でもどうしたらいいのか分からないくらい無気力にも似た状況のまま、予定よりも2時間も遅く登山口についてしまいました。そして、医王山のシンボルといわれている「トンビ岩」を目指しました。くちばしのように尖ったトンビ岩が池の後ろにそびえていて、てっぺんまでは長い鎖を使って100メートルほど登っていきます。くちばしの上に立つとかなりの高度感を味わうことができます。そこからは歩きやすく、30分ほどで白兀山(しらはげやま)に登頂しました。峠を経由し、最高峰の奥医王山には西日の美しい時間に登頂できました。山頂に立った時、登山口まで続いていたぼやーっとした感じは少しずつ薄らいでいました。医王山には本当に申し訳ないことをしてしまったと反省する中、自分ではどうすることもできなかった気持ちに、山が助力してくれたと思わずにいられませんでした。自然の中に身を投じることで、こんなにも気持ちが落ち着くとは・・・感謝をしながら富山県へと下りました。

鍬崎山

9月23日、北アルプス立山連峰の絶好の展望台、鍬崎山(くわさきやま)へ登ります。山頂までの登山道は一本しかなく、往復登山となります。粟巣野のスキー場から、百間滑、龍神滝、タテヤマスギのご神木を経て、主尾根に上がるため、急斜面で標高を一気に稼ぎます。まずは弥陀ヶ原や大日岳がよく見える瀬戸蔵山が迎えてくれました。そこから大品山までは細かいアップダウンをつなぎながら、のんびりと歩くことができます。木々の間からピラミッド形の鍬崎山山頂が見えますが、まだまだ先です。鍬崎山の本格的な登りが始まる前で、一度標高を下げ、そこからは急な尾根道が続きます。山頂までのキレイな登山道の途中には、うっかり採って食べてみたくなるツキヨタケが立ち枯れしたブナの木にびっしり生えていました。ツキヨタケは夜になると緑色に発光する毒キノコです。標高が上がるにつれて視界は広がり、昨日勉強した立山カルデラや砂防ダム群、立山温泉の跡地、立山も見ることができました。出発から4時間、74座目の鍬崎山に到着。さぁ~待望の展望は!?最高でした!奥大日岳の後ろには剱岳が見え、弥陀ヶ原から天狗平へと続くアルペンルートも見えます。なんといっても、どっしりとした立山と薬師岳の存在感は群を抜いていました。山頂で景色を楽しみながら、一時を過ごしました。

立山五座

9月26日、2日間お世話になった室堂山荘を6時半に出発し、まずは立山信仰の曼陀羅に描かれている浄土山を目指しました。浄土山に立つとまばゆい太陽の光と、左に剱岳・別山・立山、正面に雲海と後立山連峰、右に薬師岳・黒部五郎岳・槍ヶ岳と、いきなりクライマックスのような世界が飛び込んできました。一の越まで駆け下りて、この旅初の標高3000メートルの雄山へと登ります。登拝料を納めて、雄山神社峰本社に向かいました。お社では7月から9月末までの間だけ、峰本社に登拝する人はだれでもご祈祷を受けることができるそうです。立山に登るのは3回目ですが、ご祈祷を受けるのは初めてのこと、10分ほどのご祈祷をしていただきました。その後は、霜柱や氷が張った水溜まりをみて3000メートルを感じました。その後立山最高峰の大汝山、剱岳と同じ標高の富士ノ折立を登り、真砂岳から、内蔵助山荘に荷物を置いて、内蔵助カールの氷河見学へ行きました。氷河の上には雪渓が乗り、岩や砂が被っているために、足元に20メートルにもなる分厚い氷河があるとは想像がつきません。氷河の底の氷は1700年前のものだといいます。氷河見学へ行ったため到着が予定よりも遅れていたこともあり、午後からの奥大日岳への登頂はあきらめて、ちょっと早いですが剱御前小舎にてゆっくりと時間を過ごしました。

奥大日岳

9月27日、まずは奥大日岳へと尾根を駆け下りました。右には沸き上がる雲の中から、剱岳が見えます。左に広がる紅葉の室堂とは対照的な雰囲気に、剱岳が幻の山にも見えました。弓のような尾根を緩やかに下りて、再び奥大日岳に向かって緩やかに登っていきます。途中、弥陀ヶ原からすごい勢いで立山連峰を飲み込むように雲が上ってきて、奥大日岳も一緒に飲み込まれました。山頂直前で2時間近く晴れるのを待ちましたが晴れる気配はなく、山頂からの展望は3年前に見たからと、自分を納得させて室堂へ向かいました。昨日の午後に足早になっても奥大日岳に登っておくべきだったと思う1日となりました。

剱岳

9月28日、標高は3000メートルまであと一歩の2999メートルという北アルプス北部の名峰剱岳へ登ります。登る日の夜明け、ピーンとはりつめた空気は氷点下でした。続く登山道を歩き出せば、どんどん剱岳は迫ってきます。そして、岩壁が空へとそびえていく、まさに岩の要塞のようです。鎖場は山頂までに9ヶ所もあり、一つ一つ確実に、気を抜いてはいけないと、握る鎖から無意識に伝わってきました。中でも、カニのタテバイは最高峰の緊張感を伴います。最後の鎖を登りきると山頂は目前です。4年ぶりの山頂は、他にも登山者が多く、賑やかでした。雲上の世界は他の山に立った時とは違い、特別な感じがします。それはきっと剱岳への険しい道のりを乗り越えてきたものにしかわからないでしょう。反面、剱岳は登る山としてではなく、遠い存在の山としていつまでも眺めていたい山だと思います。

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