日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse3~|(20)奥茶臼山~乾徳山

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奥茶臼山

8月9日、当初はしらびそ峠より奥茶臼山に登頂後、再びしらびそ峠に戻って来る予定でしたが、大鹿村へと抜ける兼用林道が通行止めとなっていました。なんとか大鹿村へと抜ける方法を探したところ、奥茶臼山から前茶臼山へと続く旧登山道があることを知りました。ルート上には前尾高山~尾高山~奥尾高山~岩本山~奥茶臼山~前茶臼山~栂村山と7つのピークを縦走するため、「奥茶臼セブンサミット」と命名し、上機嫌で登りました。標高は直ぐに2000メートルを超えて、スタートから深い森が広がります。下草は背丈の低い笹原から、シダ植物、苔や天然の芝生へと変化していきます。木々も最初は落葉松林、その後直ぐに、コメツガやシラビソ、ダケカンバなどの南アルプスらしい大木の原生林へと変わりました。尾高山から先は倒木が多いですが、潜ったり乗り越えたり回り込んだりと変化があり楽しめます。展望も、時折東側にビューポイントが。そして山頂の北側は急に開け、中央アルプス、北アルプス、そして明日から縦走する最後の南アルプス北部の山々がズラリと一望できました。終盤、前茶臼山へと続く旧登山道は途中から踏み跡が無くなり、倒木も激しさを増し、アドベンチャーレースさながら。汗だくになりながらも充実感たっぷりで、大鹿村へと無事に下山しました。

最後の南アルプス縦走

8月10日、今日から3泊4日の行程で最後の南アルプス縦走。夜明け頃、宿から鳥倉登山口へ続く林道をスタート。日本一高い峠と言われる三伏峠には5年ぶり、鳥倉登山口から登るのは初めてです。予定通り9時過ぎに三伏小屋に到着。登山口までの標高差800メートル以上、長い林道歩きで大分体力を使ってしまったため、ちょっと早いですが小屋名物の手作りカレーを頂きました。エネルギーを蓄えて再出発、1日目の宿泊予定である塩見小屋に向けて南アルプス主稜線を歩きます。最高の眺めが広がり、三伏山からは目の前に塩見岳が聳えていました。午後1時過ぎ、山小屋に到着。翌日に備えて、他の登山者と談笑しながらのんびりと過ごしました。

塩見岳

8月11日、日の出後の5時過ぎに小屋を出発。目の前にそびえる191座目の塩見岳へと早速登ります。山頂は日の出を見るために暗い内から登っていた登山者で賑わっていました。塩見岳からは白峰三山や南部の山々が見え、眼下には間ノ岳へと続く明瞭な仙塩尾根が見えています。塩見岳から駆け降り、花畑や樹林の中を気持ち良く歩き抜けました。懐かしい熊の平小屋で軽く休憩をしていると、向かいに見える農鳥岳方面に雲がわいてきました。三国平から農鳥小屋へと続くトラバース道へ入ると、雲はどんどんわき続け、昨日よりも山が隠れるのが早いと感じます。今日の農鳥岳登頂を諦めて、急ぐことを止めました。初めて訪れる農鳥小屋に12時前に受付。午後は通された離れの小屋にて、のんびりと過ごすことにしました。

農鳥岳、間ノ岳、北岳

8月12日午前3時、これまでで一番早い出発。まだ頭がシャキッとしない中、ヘッドライトで登山道を照らしながら西農鳥岳へと登りました。真っ暗闇の中を30分ほど歩き西農鳥岳に登頂、休む間もなく目的の農鳥岳へと向かいます。思った以上にスムーズに進んでしまい、日の出の1時間前に農鳥岳へ登頂。さすが3000メートル、夜明け前は夏でもかなり寒く、風を避けられる岩影で日の出をじっと待ちます。午前5時、太陽が顔を出し、縦走3日目の朝がきました。農鳥小屋で朝ごはんを食べ、白峰三山2座目の間ノ岳へと向かいました。間ノ岳からの優しい愛のムチ(急登)を受けながら、間ノ岳に8時に登頂。ちょっと忙しくなりますが、北岳が雲に包まれる前にたどり着くために、中白根山を経由して北岳へと急ぎました。北岳山荘に立ち寄ったあと、農鳥岳と間ノ岳が雲に包まれ始めたため、5年前を彷彿とさせるペースで、見上げる北岳山頂へ。途中雷鳥の親子に遭遇して足を止めてしまいましたが、これまでで一番賑わう山頂へ、雲に包まれる前に到着。初めての一日白峰三山縦走を終えたあとは、雲に包まれるまで山頂でのんびりと過ごし、南アルプス最後の鳳凰山を眺めました。

鳳凰山

8月13日、まだ薄ぐらい時間に広河原山荘を出発。ほとんどの登山者は北岳方面へと向かう中、南アルプス最後の山「鳳凰山」へと向かいました。広河原からの登山道は白鳳峠への標高差1000メートルの急登から始まります。1時間半ほどで峠に到着、久しぶりの早川尾根から鳳凰山へと縦走スタート。一つ手前のピーク高嶺へと登っている途中から、天気予報より早く霧雨が降り始めました。やはり台風の接近による影響が早くも始まっているよう。なんだか5年前と同じような状況に少しトーンダウンする中、鳳凰山に到着。今日はもうこのまま雲に包まれてしまうのかと肩を少し落としながら、鳳凰山最高峰の観音岳へ到着すると、谷からの風が強く吹き、あっという間に目の前の雲が晴れ太陽が照りつけました。その早変わりに、うおぉーっ!と叫びました。気持ちはあっという間に晴れて、他の登山者も喜んでいる中、最後の薬師岳に登頂。この瞬間、南アルプスの3百名山、全ての山に登頂しました。さらに年を跨いで、日本アルプスを無事に登頂させてもらうことができた瞬間でもありました。16時前に無事下山。5日ぶりの入浴で最後の南アルプス縦走の疲れを癒しました。

七面山

8月17日。4年前は、1年に一度の七面山の大祭に登ったため、驚くほど賑やかな道のりでしたが、今回は比べられないほど静かな表参道です。今回は随所にある丁目が書かれた灯籠を数えて登りました。敬慎院までは50丁。ペースを上げながら、丁目を数えて登ります。三十三丁目の宿坊で一休み。その後は、敬慎院の門前より富士山が早く見たくなり、ペースを少し上げていきました。四十五丁目、四十六丁目…しかし、富士山は見えません。分厚い雲が晴れるのを待ちましたが待ちきれず、敬慎院へと挨拶をする前に七面山山頂へと登りました。落葉松林をぬけ、4年ぶりの七面山山頂に到着。山頂でのんびりしていると青空が少しずつ見えてきて、年配のご夫婦がお互いの位置を「やっほー」と声を掛け合いながら登ってきました。なんとも微笑ましい一時です。30分ほど、ご夫婦と談笑して、再び敬慎院の門前へ。するとわずかですが、富士山頂がほんの少しだけ見えました。その後、敬慎院にて手を合わせ、感謝を伝え、敬慎院の登拝者へ振る舞ってくださる味噌汁をいただいた。

毛無山

8月20日、4年ぶりの毛無山へ登る朝、最新の天気予報をチェックし、意気揚々と宿を出発。今回こそは山頂から富士山を望めるとイメージして、本栖湖畔を歩きました。夜遅くまで降り続いた雨の影響で湿度が高く、天気予報通りに雲が晴れてくれるのか、空を見上げると半信半疑になってしまうような感じでした。まずは急登続きの雨ヶ岳へと登ります。稜線に上がってからは、視界は見えなくなる一方に。すぐそこに、太陽が、青空が、富士山があるような感じなのだが…。結局、一度も晴れることはなく、山の天気予報は見事に外れ。4年前は土砂降りの雨でしたが、今回は濃霧のみ。まぁ前回よりは進歩していたと、気持ちの落とし所を見つけ、静岡県側へ下山しました。

富士山

8月21日、今日から2日かけて198座目富士山へと登ります。今回は精進湖よりスバルライン五合目を経由して、富士吉田口に合流する精進口登山道を登ることにしました。富士山の西側に広がる青木ヶ原の広大な樹海を抜けていきます。登山道脇にある、苔がびっしり張り付いた複雑な形をした溶岩が目に留まります。一合目までが長く、標高が上がるとともに、間隔は短くなっていきます。一向に他の登山者と会うことはなく、結局五合目の奥庭に到着。スバルライン五合目に出るとそこは別世界、日本人を探す方が難しいほど海外からの旅行客や登山者で溢れていました。今回は富士山で唯一の通年小屋である佐藤小屋で宿泊。アットホームな雰囲気の佐藤小屋で、明日に備えて早めに就寝しました。

8月22日、5時半に出発。標高が2700メートルを越えると、七合目から山頂まで点々と山小屋が続き、その数14にもなります。標高が3000メートルを越えると長い八合目。八合一勺、二勺、三勺…そして本八合目と何軒もの山小屋が続き、本八合目を過ぎれば、九合目、山頂まではあと少しです。途中立ち寄ったトイレから出ると、さっきまであった山頂の笠雲がいつのまにか晴れていました。自分が登頂するまでに晴れていてくれるとは限らないので慌てて登ります。9時過ぎ、5年ぶりに富士吉田口山頂の奥宮へと到着。ありがたいことに山頂の雲は晴れてくれていました。お鉢を時計回りで歩き、御殿場口と富士宮口の山頂へと向かいます。最高峰の剣ヶ峰もはっきりと見えます。さぁ、3776メートルからのお鉢を眺めようと思ったら、空は真っ白な雲に包まれてしまいました。まだ時間にもゆとりがあったため、雲に包まれてしまった剣ヶ峰に登り、それから2時間、日本一高い場所で雲が再び晴れるのをじっと待ちました。2時間のうち何度か晴れる瞬間もあり、下山の時間も考えて、午後3時前にお鉢巡り後半へと進み、再び富士吉田口の下山口へと合流し、つづら折りの下山道を駆け下りました。

大菩薩嶺

8月25日、5年前にもお世話になったペンションすずらんより、日本一長い山名と言われる牛奥ノ雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま)への登山道を登ります。前日までは、最短ルートで大菩薩嶺へと登る予定でしたが、地図を広げているとき大菩薩嶺の近くに日本一長い山名の山があることを思い出しました。ということで、急きょルートを変更。1時間半ほどで14文字にもなる山名を持つ山頂に到着。幸先良く富士山ともご対面。そこからは甲州アルプスと言われる縦走へと入ります。そこは想像もしていなかった気持ちのいい縦走路でした。大菩薩嶺が近づくにつれ展望が開けてきます。東側は沸き上がる雲と樹林で展望はほとんど無いですが、対称的に稜線の西側は草原と青空が広がりました。百名山のときは大菩薩嶺の魅力の1割しか味わえなかったのだと気付きました。大菩薩嶺の山頂は展望がないですが、ここまでの道のりで十分すぎるくらいだと感じていました。お昼をまわり、少しずつ登山者が下山していくとともに、再び大菩薩峠へと戻り、そこから丹波山村へ続く、長く静かな尾根を駆け下りました。

雲取山

8月26日、200座目は雲取山。今回の登山ルートは、初めて雲取山を登った時と同じ、山梨県側からの七ツ石山を経由するルートを選びました。10年以上前に登ったルートのため、微かな記憶をたどるように杉林の中を抜けていきます。曇り空の影響もあり、林の中は薄暗いです。黙々と歩き続けていると、興味深い看板が。新しそうな、しっかりとした看板には「平将門迷走ルート」とあった。どうやら、今歩いているルートは平将門が逃げのびてきた道のようです。当時のことが言い伝えとして残っていたのだろうか、七ツ石山を越えた先まで物語のように続いています。静かな雲取山への懐かしい防火帯沿いの登山道を登り続け、百名山以来5年ぶりに雲取山へ登頂しました。天気はあいにくですが、200座という大台にたどり着けたことの喜びで十分。間もなくして雨が降りだし、小雨の中を三条の湯へと下りました。三条の湯はいつか泊まってみたいと思っていた山小屋。薪ストーブに火が入った部屋で、濡れたものを乾かし、肌触りがよく、薪の匂いが落ち着く温泉にて、200座目までたどり着けた喜びを噛みしめました。

和名倉山

8月27日、三条の湯から小雨の中を再び、奥秩父主脈縦走路へと登ります。縦走路へと合流してからは、201座目の和名倉山への分岐まではトラバース道です。霧に包まれた登山道は苔むしていて雰囲気があります。山の神土からは一気に登山道は細く不明瞭に。笹におおわれた部分は特に歩きにくく、慎重に進みました。西仙波からは青空も増えて、さらに気持ちいい尾根歩きができました。4年前は山の神土で「何のために旅をしているんだ」と旅の気持ちが切れそうになったため、和名倉山を楽しむことも味わうこともできませんでした。そのため今回はしっかりと味わいたいと思っています。和名倉山山頂は、三百名山で1、2を争う「山頂らしくない山頂」が健在でした。しかしそこまでの道のりは、変化もあり、楽しい一時となりました。夕方から雨が降る予報だったため、一ノ瀬高原への下山を急ぎました。下山途中には、奥秩父らしい住人、三日月がまだ出ていない若いツキノワグマと遭遇しました。

乾徳山

8月29日、奥秩父山地を縦走していますが、乾徳山に登るため一度主脈縦走路を離れます。今日は比較的山梨県内は天気が安定するらしく、4年ぶりとなる乾徳山を楽しめそうな予感がしています。4年前お世話になった宿はすでに閉めたそうですが、おばあちゃんは元気でいるか気になり立ちよりました。背筋がシャキッと伸びたおばあちゃんがスッスと歩いて現れ、「あれーまた来てくれたの~お元気そうじゃない!」と言ってくれた。1時間ほど玄関で、4年前のことや最近のことまで、色々とお話を伺いました。そして、おばあちゃんからたくさんの元気を頂き、乾徳山へと駆け登ります。4年前は濃霧と雨のため、登山中に一度も景色や山の雰囲気を味わうことができなかったですが、今回は前回の分もしっかりと時間をかけて登ることができました。月見岩からの富士山、髭そり岩や胎内岩など、山頂部の岩を一つ一つじっくりと観察しながら、山頂直下まで登り、最後の岩を登ると甲府盆地や南アルプス、奥秩父主脈縦走路後半の山々を見渡すことができます。心地よい日差しもあり、山頂でランチを食べながら、2時間ほどのんびりと過ごしました。下山後に再びおばあちゃんにお礼を伝え、乾徳山を後にしました。

 

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