田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse~」⑤

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四万十川ダウンリバー前編

5月4日、四万十川ダウンリバー1日目、今日はせいらんの里から窪川を目指します。まだまだ川は小さいため、とてもパックラフトを浮かべて漕ぎ出せる状況ではありませんので、川が大きく水深が深くなるまで、川に沿って歩きました。出発から2時間以上歩くと、本流最上流部の沈下橋「高樋橋(たかひばし)」に到着。まだ浅いところも多いですが、全ての沈下橋を通過するため、ここからスタートすることに決めました。上流部は堰堤が多く、また所々で大小様々な形をした岩が行く手を遮り、まるで川の迷路のような感じでした。しかし、変化のある川のため考えながら下ることができたので、全く飽きることなく楽しむことが出来ました。さらに、川からの眺めは四万十川沿いの人々の暮らしぶりや生き物たちの姿をたくさん見ることが出来ます。ただ、四万十川の蛇行は想像以上にスゴいため、四万十川は川を下るよりも歩く方が早いかもしれないと初日から悟りました。実際に、川を下った距離は道の1,5倍となりました。

5月5日、朝起きると上半身はかなりの筋肉痛ですが、朝から天候は最高のコンディションになっていました。今日の行程の途中には、本流唯一のダムがあるため、そこは一度上陸してパックラフトを担ぎ上げて歩いて越える必要があります。ダムまでは充分な水量がありましたが、ダムから下は一気に水量が減り、川の流れも寂しいものでした。中流域に入ると水量も再び増えていき、水の透明度も中流域の方がキレイに感じました。四万十川に沿って走る列車には、新幹線のデザインが施された車輛や鮮やかな黄色い車輛のしまんトロッコ列車なども走っていました。

5月6日、今日は夕方から雨の予報でした。曇り空の中、宿泊したキャンプ場脇の川原へと下りて出発しましたが、大きな岩が折り重なり川をせき止め、その上を川が越えていく状況に、危険だと判断しボートから下りました。3日目はこれまでで最長距離。川の水量も増え、流れも早くなり、激しいポイントが増えてきます。一番盛り上がる区間ではありますが、同時にリスクも大きくなるため、気の抜けない1日となりそうです。本流最大の中洲の三島からはラフティングのツアーも開催されており、昨日よりも川を親しむ人の姿も多く見かけました。また、ゴールデンウィークということで、関西から四国に遊びに来ていた友人たちが帰り際にわざわざ会いに来てくれました。夕方から雨の予報が外れて、昼から降りだしました。降り出してから雨足は強まり、終盤はとにかく早く目的地に着きたい気持ちで漕ぎ続けました。なんとこの日の移動距離は47キロを超えました!

三本杭

5月9日、3日降り続けた雨もようやく止み、気持ちのいい空が広がっています。三本杭に登るのは初めて、愛媛県の南予(なんよ)に足を踏み入れることも初めて、見るもの触れるもの聞くもの感じるもの全てが新鮮です。出発地点となる滑床渓谷(なめとこけいこく)沿いの遊歩道を奥千畳方面へ上がっていくと、目黒川はかなり増水していました。コンディションがよければ、ザブザブと一枚岩の上を歩きたいと考えていましたが、遊歩道から轟音を立てる川を眺めるだけとなりました。その後、流れが緩やかな千畳敷と奥千畳では冷たい水の中を歩くことが出来ました。渓谷内の新緑もきれいでしたが、熊のコルへの登山道に生える、たくさんの雨水を吸った苔たちが、光を浴びて生き生きとしていました。たるみに立つと、5月末頃から見頃を迎えるはずのオンツツジが満開を向かえていました。三本杭(滑床山山頂)に向かう前に、江戸時代に領界とされた本来の三本杭(現在は横ノ森)に向かいました。シラビソの群落を掻き分けていくとひっそりとその場所はありました。再びたるみに戻り、今は三本杭山頂となっている滑床山山頂を目指しました。山頂は広島から来たというたくさんの登山者でにぎわっていて、皆さんいい笑顔で談笑していました。その内の一人の男性が一等三角点を指差しながら「陽希さん知っているかい!?昔の博打打ちは山に登ってきて、三角点の角をへつって、博打の時にはお守りとして懐に忍ばせたらしいんだよ。だからほら!無いでしょ」と教えてくれました。実は三角点だけではなく、山頂にある古い石像や石碑の角もへつったといいます。三本杭からの景色はというと、遠くは九州がうっすらと見え、これから縦走する八面山(はちめんやま)、鬼ヶ城山(おにがじょうやま)への稜線は新緑に包まれていました。下山は宇和島市名物の鯛めしを楽しみに、毛山から尻割山を経由して、宇和島城が見える市内へとかけ下りました。

篠山

高知県と愛媛県の県境にある山間の御槙(みまき)集落、かつては旅館が3軒もあり、小学校に入りきらないほどの子供たちであふれ、林業が盛んで、材木を売って建てたという小学校は、鉄筋コンクリートのものとしては県内で2番目の早さだったようです。江戸時代には篠山の山頂にあったお寺を参拝したお遍路さんが、山を下りて御槙を通り抜け、宇和島を目指したそうですが、なんと宇和島藩はお遍路さんに冷たく、藩領内は一週間以内に抜けなければいけなかったことや、主要街道を歩くことを許されず山越えの厳しい道を通らざるを得なかったそうです。 篠山にはその道が今も残っています。今回はその道を使って、篠山の山頂を目指します。かつての遍路道はかなりの急斜面で、石垣が組まれているところがあり当時の名残を垣間見ることができます。山頂手前には、道標となる古い石碑や石像も残っていました。さらに、山頂には大きな領地を示す石碑があり、土佐藩と宇和島藩の境界だったことが一目瞭然。笹やアケボノツツジが一昔前は力がみなぎっていたそうですが、シカの食害により、当時の面影はなくなっています。ただ、山頂からの展望は素晴らしく、久しぶりに海の向こうにうっすらと九州を見ることが出来ました。篠山からの眺めを目に焼き付け、篠山神社でお礼を伝えてから、再び御槙へと下りました。(5月11日)

四万十川ダウンリバー後編

5月13日、三本杭と篠山に登るために、江川崎の川の駅を離れてから6日ぶりに四万十川ダウンリバーを再開させます。昨日までは強い日差しと気持ちいい青空でしたが、今日は一転して朝から梅雨のような天気となりました。時折雨足が強くなることもあり、一瞬出発することをためらいもしましたが、今日は踏ん張りどころと自分自身を鼓舞して、深い谷に霧が立ち込める四万十川下流域へと漕ぎ出しました。川岸にはエビや鰻の仕掛けがたくさんあります。6月から鮎漁も解禁となるため、もうすぐ今年の四万十川も活気づくことでしょう。しかし、四万十川の恵みを長年にわたり乱獲したため昔のような姿はなくなっていると地元の方に伺いました。川幅が広がると、雨の中を上流へと遡る屋形船が通りすぎていきました。乗船するお客さんが僕を物珍しそうに眺め、手を振ると笑顔で振り返してくれました。本流最後の沈下橋「佐田の沈下橋」を通過して、4日目のダウンリバーも無事に終わりました。

5月14日、四万十川ダウンリバー最終日。いよいよ四万十川196キロのゴールを迎えます。スタート地点は本流最後の沈下橋「佐田の沈下橋」。昨日も通過しましたが再度通過するため、宿からボートと荷物を担いで橋まで歩きます。午前10時に佐田の沈下橋から、太平洋に向けて漕ぎ出しました。普段よりも1メートルほど水量が多いことや、大潮だったこと、風向きが追い風だったことで、予想よりも早く河口にたどり着きました。河口は、海からうねりと潮の香りが漂ってきます。左右の川岸がなくなり、目の前に大海原が広がった!源流点から太平洋まで漕ぎきったことに、一人洋上で笑顔がこぼれ「バンザーイ♪」と叫びました。河口からは上陸地点の平野海岸まで、海岸線にそって漕いでいきます。平野海岸は知名度のあるサーフィンスポットのため、この日もサーファーが数人サーフィンを楽しんでいます。僕も一度上陸してから、サーファーに混じって、パックラフトで波乗りを楽しみました。何度か波に乗ることができましたが、最後はひっくり返って波に揉まれながら、充実感に満ち足りて1日を終えることができました。

四国最後の縦走路

5月20日、今日から四国最後の縦走をします。一日目は、京柱峠から小檜曽山(こびそやま)を経由して、矢筈峠(やはずとうげ)へ下りて、綱附森(つなつけもり)、地蔵頭を登りお亀岩避難小屋までのコースタイム約10時間を行きます。ゆったりとした稜線もあれば、ロープ場があるような急登もあり、一日目からアップダウンが続きますが、展望が広がる場所が多く、次々と変化する景色を楽しみながら歩くことができました。この日のクライマックスはいきなり最初に来てしまいました。小檜曽山に登ると、山頂手前から一面のミヤマクマザサが広がり、入り交じるミツバツツジが満開をむかえ、矢筈山へと続く稜線では鼻唄混じりでスキップを刻みながら歩きたくなるような、素晴らしい世界が広がっていました。当初の予定では東祖谷から天狗峠を経由して三嶺(みうね)~剣山(つるぎさん)へと縦走する計画でしたが、四国前半の石鎚山系~赤石山系を歩いたことで、四国の山を縦走する魅力の虜になってしまったようで、三嶺~剣山への縦走も、少しでも長く歩きたいと考え直したのです。1日目最大の登りとなった地蔵頭を越えて、ピラミッドのような天狗塚がよく見える天狗峠に無事に到着。天狗塚から三嶺までの約4キロの稜線も素晴らしく、翌日の縦走も格別な時間となることを期待しながら、避難小屋に荷を下ろしました。

5月21日、前回の旅で三嶺は雲に包まれてしまい、四国一美しいといわれる景色を一辺も見ることができませんでした。そのためなんとしても最高のコンディションの中で歩きたいと願っていたら、その思いが通じたのか、出発直前で雲は遠くへといってしまい、昨日以上の青空が広がりました。西熊山から三嶺へと続く稜線はこれまで歩いてきた四国の山の中で一番の山並み、スタートからテンションは最高潮。ここを歩かずして、三嶺の美しさは語れないと思いました。昨日以上にルンルン気分で、三嶺へ向かいます。山頂では予定よりも長く、2時間ほどコーヒーとミレービスケットをつまみながら、景色を楽しみました。名残惜しさも感じながら、最高のコンディションで再会できたことに感謝して、剣山(つるぎさん)へと続く稜線へと進みます。見えなくなる景色、新たに見えてくる景色、見る方向により変わる山を楽しみながら、四国最後の剣山には、西に太陽が沈んでいく時間に到着しました。剣山山頂に着く前に、山の名前の由来となった、大剣神社(おおつるぎじんじゃ)の御神体(大剣岩)に挨拶と感謝を伝えました。ちょっと足早ではありましたが、最高の山歩き2日間が、赤く染まる空と共に無事終わりました。

瀬戸内横断

5月27日。四国に来たときはしまなみ海道を歩いてきましたが、出るときはシーカヤックを漕いで瀬戸内海を渡ります。ルートは3年前に岡山県から渡ってきた時の逆コースです。百名山の時から海峡横断をサポートしていただいているバタフライカヤックスの方と友人夫婦と合流しました。これまでは一人で海峡横断をしてきましたが、今回初めてバタフライカヤックスの方と友人の3人で岡山県倉敷市児島の海岸を目指すことにしました。9時過ぎに香川県を出発、最初から緊張の本線航路横断。大型船や小型船の動向に注意しながら一気に与島に向けて漕ぎ出します。すると海上保安庁の巡回艇が近づいてきて、渡りきるのを見守ってくれました。ありがたい!与島から先は、引き潮の時間となり、西から東へと流れる潮をいくつも横切りました。3年前は小潮でしたが今回は中潮で、前回よりも潮流が早く、場所によっては川のように流れていました。小さな島や橋脚の陰の巻き返し(エディ)の流れをうまく利用しながら、そして適度に休憩を挟みながら、最後の瀬戸を渡りきり児島の海岸へと到着しました。前回よりも時間をかけ、友人たちと談笑しながらの2時間半の海峡横断となりました。霞む空に刺さるようにそびえる瀬戸大橋の橋脚と、瀬戸内海の島々、そして遠くに見えた讃岐富士が印象的でした。

 

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