田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き~Great Traverse~」⑯

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青海黒姫山

4月4日、昨日までの雪で雪崩のリスクが高くなっていました。今日はまさしく「登りたい」と「登れる」の狭間を歩いていきます。標高300メートル付近から雪上となり、新しい積雪と古い積雪の感触を確かめながらの登山が続きました。斜面を大きく右にトラバースしながら標高を上げていき、折り返しからは傾斜はさらにきつくなっていきます。雪崩のリスクが高い地点に差し掛かりました。樹林の中を登山道とほぼ同じルートを辿りましたが、途中からはトラバースを避けて真っ直ぐ登っていたため、登山道からそれてしまっていました。地図を確認してルートを変更、石灰岩特有のドリーネが点在する金木平に出て、再び登山道と同じルートを辿りました。2度目の雪崩やすい地点に入りました。標高が高いところでは新雪の下の古い雪は固くしまった状態のため、登ることで雪崩を誘発させてしまう恐れがありましたが、一歩一歩感覚を研ぎ澄ませて登り続けました。下の古い積雪との関係や気温、日光、斜度、歩いた場所、時間帯など、様々な要因が絡み合って雪崩は起きると思われるため、登りは大丈夫だったからといって安心はできません。そして昼過ぎに登頂することができました。山頂からは見事な景色と、背筋が凍る景色が見えました。雨飾山から妙高山へと続く山脈は、まさに厳冬期の山そのもの。これから進む山は落ち着くまでじっくり待とうと思いました。山頂からみる青海黒姫山の姿は独特で、蟻地獄のようにたくさんのドリーネが点在しています。再び緊張感を高めて下山を開始しました。これからしばらくは「登りたい」と「登れる」の狭間を進むことになりそうです。

米山

4月8日、ほぼ海抜ゼロメートルの宿から出発。山頂にある日本三大薬師の一つ米山薬師への参道でもある柿崎コースから登り、大平コースへと下山するルートを選びました。前日に地元の山岳会の方から米山の由来について、見所、歴史など解説をいただき、このルートに変更しました。地元の方々からは「米山さん」と親しみを込めて呼ばれてきたそうです。古道の入口となる密蔵院で登拝の挨拶をしてから登り始め、山桜や野花、今年初の蝶を見て、麓の春の進みを感じながらドンドンと標高を上げました。三十三観音に出会い、標高が700メートルを越えるとグッと雪が多くなりました。それでも今年の米山の積雪は例年の4分の1ほどと聞きます。山に入ってしまうと山頂は近づくほどに見えなくなり、気付いたら山頂が目の前だったという感じで登頂してしまいました。米山薬師へ真っ先に向かい、挨拶と登頂のお礼を伝えました。360度見渡す限りの展望で、うっすらと佐渡島、金北山が見え、思った以上に近くて驚きました。足元に迫ってくるような距離に海が見えて、米山が海から一気に空へと突き上げていることを実感しました。

斑尾山

4月13日、今週唯一の快晴となった今日は、斑尾山へ妙高高原池の平から日帰りすることにしました。宿からすぐそこに見えますが、実際は往復のロードだけでも20キロあります。登山口となる峠につく頃には気温はさらに高くなり、サングラスをしていないと雪目になってしまうほど眩しいです。ワカンを装着してゲレンデ内を登っていきます。夏場は信越トレイルのコースにもなっています。スキー場の営業が終了してから2週間が経っているため、その間に降り積もった雪で意外と足元は埋まります。頂上リフトから先はゲレンデ外となり、朝一で登りに来ていたのであろう他の登山者の足跡がちらほらとありました。あまり地図を見ずに登っていたため、山頂は突然やって来ました。12時に山頂到着、降り注ぐ太陽の日差しが心地よく、敷いたマットに座りランチをとった後は、寝てしまいました。これが本当の春山だと思える1日となりました。下山途中の大明神岳からの野尻湖や北信五岳、北アルプスの眺めは最高でした。

妙高山、火打山

4月16日。食料は4日分、16000キロカロリーと雪山登山に必要な25キロを超える装備を背負い杉ノ沢へ向かいました。最初のスキー縦走は3泊4日の予定、4日目の天候次第では2泊3日で小谷温泉へと下山できる予定を組みました。初日は高谷池ヒュッテまで登るだけですが、一番荷物が重い状態のため、そう簡単ではありません。池ノ峰まではスムーズに進みます。そこからトラバースをしながら1時間ほどで笹ヶ峰からの夏道と合流しました。黒沢端を渡ると一気に傾斜がきつくなり、表層雪崩の痕跡もあるなか緊張感を高めて十二曲がりまで標高を上げました。ふぅと一息つきたいところでしたが、すぐに今日一番の急登が目の前に迫りました。スキーでは登れないと判断し坪足で登りましたが、想像以上に埋まったため50メートルほどで力尽き、再びスキーを履いて富士見平まで登りました。富士見平まで来ると谷間の向こうにようやく高谷池ヒュッテが見え、周りの山々も一望する事ができました。出発から約9時間…無事に初日の行程を終える事ができました。

4月17日、スキー縦走2日目は高谷池ヒュッテから妙高山へ登り、またヒュッテへと戻る日帰りとなるため、昨日よりは装備は軽くなりました。一山越えて、妙高山の外輪山へと登ります。頸城の山の中で最難関ともいえる妙高山が目の前に迫りました。最初の難所は外輪山からの下山、雪崩のリスクが高く、雪庇が巨大となるためです。慎重に下り口を見極めて集中力を高め、アイゼンに履き替えて、外輪山の内側へと下りました。次の難所は山頂への急登、限界までスキーで登り、途中からは再びアイゼンに履き替えて登りました。緊張感は常に高く、雪に埋もれた山頂標識が目に入ったときは歓喜の雄叫びが上がりました。山頂で1時間ほど過ごし、再び緊張感を高めて外輪山へ登り返し、無事ヒュッテへと到着。感動的な夕日を眺めながらこの日も翌日に備えました。
4月18日、縦走3日目は夜明けから火打山へと出発。天気予報が早まり、3泊4日を2泊3日へと変更したためです。145座目となる火打山の山頂にはすでに日差しが当たっているのが見えます。名前からは想像もつかないほど穏やかな姿をしていました。そこへ「グガガガー」久しぶりに聴く鳴き声が!雷鳥の声だとすぐに気づき、声の方へ目線を降ると、真っ白な冬毛の雷鳥がひょっこり顔を出しました。火打山山頂から見る景色は妙高山の時よりも心にゆとりを持てていました。手が届きそうなほど近くにある焼山に背を向けて、予定を早めて杉野沢橋へ続く沢筋を、スキーで滑り降りました。そこからは、乙見山峠へと続く林道に沿って、小谷温泉へと峠越えを。長野県側は新潟県側よりも雪溶けが進み、谷間は雪崩の巣と化していました。慎重に進んでいましたが、さらに冬眠から目覚めた熊とも遭遇して、山の春がここ数日で急速に進んだことを感じました。

雨飾山、焼山、黒姫山

4月20日、1日目の行程は標高1000メートルの小谷温泉から標高1963メートルの雨飾山まで登り、標高2245メートルの金山まで縦走します。1回目のスキー縦走の経験から装備を吟味した結果、バックパックは少し軽くなりました。それでも20キロは超えています。1日目最大の難所は雨飾山の山頂直下、笹平へと登りきるまでの急登です。出合に着くと雪崩が発生していました。かなり大きな雪崩で、笹平の雪庇が落下したことによって発生したようです。沢から笹平へと続く尾根へ登り、あとはひたすらスキーで登れる限界まで登り続けました。出発から4時間で山頂直下の笹平へと登りきりました。ホットひと安心したあとは、荷物を下ろして最後の登りを四つ足動物のようにがむしゃらに登り、そして登頂。山頂からは北アルプスと懐かしい青海黒姫山が見えました。笹平へと戻りバックパックを背負い、スキーを装着して、金山へと縦走を開始。振り返ると北アルプスに負けない存在感のある雨飾山がありました。出発から9時間ほどで金山の山頂に到着。裏金山との中間辺りに雪洞を作り、能登半島に沈む夕日を眺め、縦走初日は無事に終わりました。


4月21日。焼山は昨年末に入山規制が解除され数年ぶりに登山が可能となったので、この機会を逃すわけにはいきません。しかし、火打山との間には積雪期に通過が困難になる胴抜ヶ切戸があるため、火打山からは引き返し雨飾山方面から登るしかありませんでした。ラジオの天気予報で午後から山間部で雨との予報が出ていたとおり、朝から空は重たい雲に覆われていました。サクサクと進み、2時間後には焼山の山頂に。山頂から少し東に下ったところには、噴煙を上げる火口があります。さらに切戸の方に目を向けると、予想以上に鋭くとがった胴抜ヶ切戸が見えました。それが急斜面となり、とても今の自分では登れる技術がないと判断し、富士見峠から真川へと下る谷へとおりて笹ヶ峰へ下山するコースに変更しました。林道に出てからは集中力が切れたことでどっと疲れが出て、連日スキーブーツを履き続けたため指の痛みで気が遠退きながらも、なんとか笹ヶ峰へとたどり着きました。翌日に備えて足のケアをしっかりして眠りにつきました。

4月22日、スキー縦走最終日は黒姫山へと向かいます。連日の野宿に、身体の疲労度は高いですが、西登山口までの森の中は朝日が差し込み、清々しさを感じながら進みました。少しずつ標高が上がると気温も上昇、雪も緩み重くなり移動スピードも下がりました。傾斜がきつくなるにつれて、足が止まる場面も増えていきました。出発から5時間、やっとの思いで外輪山へと登りきり、戸隠の山々が広がりました。景色を眺めながら腹ごしらえをしたあとは、最高峰へとスキーを進ませました。午後1時、山頂に到着。雪に埋もれた小さな社を掘り起こし参道を作って、登頂のお礼と挨拶を伝えました。刻一刻と麓の雪が溶けていくのを感じながら、木々を縫うように、大橋の下山口へと滑り降りました。初めてのスキー縦走は想像以上の体力気力が必要となりましたが、同時に新たな挑戦ができ、達成することができた証でもありました。

飯縄山

4月23日。昨日の黒姫山も身体が言うことをきかないほど疲労していましたが、今日はさらに身体は重くなっています。3日ぶりのお風呂と美味しい食事と暖かな布団で寝ることができたため、精神的にはリラックス出来ていましたが、身体は一晩では回復せず、むしろ昨日よりも言うことをききません。営業終了した戸隠スキー場からスキーで登ります。後ろには、岩の屏風のごとく戸隠連山が朝日を燦々と受けていました。さらに奥には、北アルプスが見えます。頂上リフトとなる瑪瑙山に着くと、ようやく飯縄山本峰が見えました。100メートルほど下ると、今度は山頂まで400メートルを登り返します。山は近づくはずなのに、10歩進んではすぐに足が止まってしまいます。出発から3時間…ようやく近そうで遠く感じた山頂に4年ぶりに立つことができました。4年前の記憶がよみがえります。今回は誰もいない山頂で一人、眼下の町並みを眺めました。

高妻山

4月28日、きしきしと新雪を踏みしめる音を鳴らしながら、登山口の戸隠キャンプ場へ向かいます。2度の渡渉をしてから弥勒尾根新道の急登が始まりました。降り積もった雪の下は凍っていて、特に木の根はツルツルです。積雪も深く、ラッセルする場面もありました。五地蔵山の手前で展望が広がり、遠く富士山は真っ白くなっています。前半はスノーシューでガンガン登っていきますが、急斜面では慎重に登りました。戸隠連峰は修験道の名残があり、戸隠山は表行場、高妻山は裏行場となります。五地蔵の次は六弥勒、七薬師、八観音、九勢至、十阿弥陀と続き、高妻山山頂となります。予想よりも早く五地蔵山を通過、そこからアップダウンを繰り返し、雪庇や滑落に注意しながら迫る急登の直前でアイゼンに履き替えました。一番の急斜面はまさに雪の壁、しっかりとピッケルを雪に突き刺して身体を上へと引き上げました。半分雪に埋まった山頂標識が見え、149座目高妻山に登頂しました。山頂からは360度の素晴らしい景色が広がっていました。下山はあっという間、2時間ほどで、白樺食堂に到着。戸隠そばを食べて、宿へと帰りました。

戸隠山

4月29日、奇しくも平成最後の山が極めて険しい戸隠山となり、さらに丁度半分となる150座目となります。まさかの平成で150座、令和で150座となりそうです。地元の山岳ガイドの方々が1週間前に調査登山をされたときの情報を参考に、戸隠神社奥社から登ることにしました。寒暖の差が激しいため、日中溶けた雪が夜間に凍りつきます。気温が上がってから登った方が、リスクが低いと判断し、出発時間を遅めにしました。戸隠山は修験の山、険しい岩場が連続し、なんといっても山頂手前の蟻の戸渡りは一番の難所となります。登り始めると、想像より雪は少ないですが、下山するまで緊張は片時も緩むことはありません。そして、最難関の蟻の戸渡りへと到着。全く雪も氷もなく条件は良いですが、渡るのは4年ぶり…腰が引けながらもこの日一番の集中力で渡りきることができました。八方睨に登り主稜線へ。雪庇に注意しながら、11時登頂することができました。ようやく…たどり着いた150座目。決してあっという間ではありませんでした。新しい時代になっても、これまでと変わらずに、一座、一座と登る挑戦は変わりません。

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