日本の国立公園の山の魅力⑩「利尻山(りしりざん)」

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利尻礼文サロベツ国立公園「利尻山」

高山植物咲き乱れる「海に浮かぶ山」

写真は「環境省ホームページ」より   https://www.env.go.jp/park/parks/index.html

1973年4月、今から46年前、私は大学に入学と同時に「山の会」のピカピカの一年生になっていた。例年の夏山合宿は剣岳周辺にほぼ半月入山していたが、私の入ったその年の夏はなぜか北海道で行われた。
山域は2つに分かれていて、前半が十勝岳からトムラウシ、石狩岳を経て層雲峡までの5日間の縦走。後半が利尻山での4日間の岩登りというもの。移動や予備日を含めると半月に及ぶ学生ならではの贅沢な登山だった。
jROが環境省国立公園オフィシャルパートナーとなったことを記念して始まった連載シリーズ「日本の国立公園の山の魅力」の第10回目はこの北海道の利尻山を取り上げる。

●美しいシルエットが魅力
利尻山のある「利尻礼文サロベツ国立公園」は日本最北端の国立公園で利尻山、礼文島、海岸砂丘地域、サロベツ原野で構成されている。
利尻山は北海道北西部の海岸から約20㎞の海上に浮かぶ標高1721mの山で、外周約60㎞の島の中央に美しいコニーデ型の山容を誇るようにそびえている。
利尻富士といわれるシルエットとは裏腹に中腹以上では浸食が進み鋭い尾根が発達して荒々しい風景をつくっている。
北峰と南峰があるが、南峰は崩落が激しく現在は立ち入り禁止で、北峰が頂上となっている。南峰から南に伸びる稜線には切り立った岩峰群があり、中でも「ローソク岩」はその名の通りの形状で摩訶不思議な迫力がある。

●ヒグマのいない山
深田久弥『日本百名山』の一番に登場するのが利尻山で、山名はアイヌの言葉で高い山を意味する「リイ・シリ」に由来する。アイヌの人ばかりでなく本州の人にとっても古くからの信仰の対象で、「霊峰」として崇められ、登山道には「薬師如来」と刻まれた石碑、また北峰山頂には麓の利尻神社の奥宮として祠(ほこら)がある。
山麓には湖沼や湿原が点在し、湧水も多く北稜(鴛泊コース)の三合目の「甘露泉水(かんろせんすい)」は名水百選に選ばれている。
独立峰という特性から、標高による植生変化をわかりやすく観察できる。海抜0mの海岸線から少し登るとトドマツを主とする針葉樹と広葉樹の混交林、500mより上はダケカンバやミヤマハンノキなどの樹林帯、緯度が高いため1100m以上になるとハイマツ帯や高山植物のお花畑が広がっている。
寒冷な気象条件と海の中に浮かぶ孤島という地理的条件から独自の進化を遂げた固有の植物も見られる。リシリヒナゲシ、ボタンキンバイ、リシリリンドウなどが知られ、南斜面にはチシマザクラの群生地があり、北海道天然記念物にも指定されている。
北海道で唯一ヒグマのいない山といわれてきたが、2018年ヒグマが20㎞の海を泳いで渡ったと報道され地元に驚愕が走った。しかしその後の専門家の調査によれば「もう島には99%いない」と発表され、現在は落ち着いている。最初に足跡が発見されて以後、目撃情報も痕跡もまったくないという。

   
リシリリンドウ    リシリヒナゲシ   ボタンキンバイ
写真は「環境省ホームページ」より
https://www.env.go.jp/park/parks/index.html

●バリエーションルートの開拓
話を46年前に戻そう。
北海道の強力なヤブ蚊で顔をボコボコに腫らしながらも、無事に層雲峡に下山した私たちは列車を乗り継ぎ、途中食糧や燃料の買い出しをしつつ稚内(わっかない)に着いた。フェリーに乗り換え利尻島の玄関口、鴛泊(おしどまり)に上陸、すぐにBC(ベースキャンプ)を設営する島の東南に位置する鬼脇(おにわき)のキャンプ場にバスで移動した。
鬼脇からは頂上へ東陵が伸びており、岩峰群で構成される南稜に近いためここをBCにした。現在、鬼脇を起点とする東陵は登山道の崩落で7合目以上は登山禁止になっているが、46年前は正式の登山道として麓にはキャンプ場もあったのだ。
なぜ夏の利尻山で岩登りの定置合宿を行ったのか。今では考えられないだろう。
1950年代の山岳界はバリエーションルート開拓の時代に突入し、初登の岩壁、岩稜を探していた。もう無雪期のルートは登りつくされ、残るは積雪期の初登攀になってきた。
そんな時に注目されたのが、緯度が高く季節風の影響をもろに受ける独立峰の利尻山だった。ちなみに利尻山の岩はもろく、凍結しないと登ることができないというのも魅力だった。
1951年の登歩渓流会の東陵の初登と南稜の試登に続き、北稜、東陵、南稜の小さな尾根が開拓され、1960年代になると西壁も登られた。私が入学した1973年には初登ルートは残されていなかったが、そんな利尻山のバリエーションルート開拓の残照のようなものがまだ残っていて、積雪期の登攀の偵察という意味が今回の夏合宿にはあったのだ。今思うと「若いって素晴らしい」と苦笑いしてしまう。

●青春の山
話は稚内駅に戻る。山の会といっても部員は3人。3年生1人、2年生1人、そして1年生の私である。荷物が多いので最後に列車を降りた。そのとき座席に手を付けていない駅弁が1つ置いてあった。最下級生の私は命じられるままに駅弁を持って下車、フェリーまで大切に持って行った。下山早々の若者はいつも腹が空いている。乗船後、出航する前に弁当を三人で分けた。先輩から順番に食べ、最後の私が食べたおかずは卵焼きと蒲鉾のみだった。
鬼脇にBCを設営し、夕食の支度をしているときに腹痛、嘔吐、下痢が私を襲った。そう、弁当が原因だった。先輩二人には何の症状もない。以後の記憶はあまりない。翌日、脱水症状にならないよう先輩たちは湯冷ましを作ってくれ、二人で西壁や南稜の偵察に出て行った。
どうにか3日後の夜に私はお粥が食べられるようになった。その翌日、初めて利尻山にふらつく足で東陵から登り、鴛泊に降りた。
登山開始前の早朝、朝日に照らされて私たち3人は海岸へ行き、靴を脱いで海水に足先をちゃぽっと浸した。海抜0mからの出発を実感したかったのだ。先輩二人は連日、偵察には行っても頂上を踏んではいなかった。登頂は三人でしようと言ってくれた。
病み上がりの身体にはきつかったが、圧倒的な迫力の「ローソク岩」、頂上からの広大な眺め、途中のお花畑の花々、下山途中に飲んだ「甘露泉水」の味をいまだに覚えている。私にとって利尻山は青春の山と言える。そして「拾った駅弁を食うな」は私の座右の銘となった。

1973年の夏山合宿の登山計画書にあった利尻山の略図

 

日本山岳会家族登山普及委員会委員長
日本山岳救助機構合同会社社員
飯田邦幸

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