災害も事故も風化させてはならない

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まずはじめに、ありきたりの言葉だが、このたびの東日本大震災において被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

正直、かけるべき言葉が見つからず、自分個人としてはほんの些細な力にしかなり得ない。発生から約1ヶ月半が経った今なお、1万人以上の行方がわからず、また大勢の方々が被災生活を強いられているという現実には、ただただ無力感が広がるのみだ。
そ んななかで、もし自分にできることがあるとしたら、「思う」ことと「忘れない」こと、そしてそれを機会あるごとに伝えていくことだろう。被災者の方にとっ ては腹の足しにもならないことであり、単なるひとりよがりの自己満足なのかもしれないが、それでもこれからは意図してそのことを心掛けていこうと思ってい る。

さて、東日本大震災が起きた3月11日、北アルプスの小日向山では、山スキーをしていた山岳ガイドらの男性3人が、雪崩により死亡するというという 事故が発生した。新聞報道によると、地震発生時、大町では震度3を観測し、事故現場周辺では雪崩の跡や雪庇の崩落が確認されたという。このことから、3人 は地震によって発生した雪崩に巻き込まれたという見方もされていたが、実際のところどうなのかはわからない。地震が雪崩を誘発したというのはたしかにあり える話だが、地震以外のほかの要因が雪崩のトリガーになった可能性も否定できない。生存者がひとりもおらず、事故後の調査でも確証が得られていない以上、 地震との因果関係は不明としておくべきだろう。
地震当日には、もう一件、遭難事故が起きている。茨城県の筑波山で下山中の女性登山者(67歳)が 落石を頭部に受けて重体に陥り、その後、死亡したという事例だ。この事故に関しては、新聞報道などで「地震による落石」と明言されており、亡くなった方は 地震による死者として計上されているので、地震が事故の要因になったと見ていいだろう。
このほか、地震の影響ということでいえば、些細ではある が、登山の計画を中止もしくは延期にした人はかなりの数にのぼるものと思われる。あるいは雪融け後、東北の山を中心に登山道の崩壊や土砂崩れ、山小屋の破 損などの被害が見つかるかもしれない(それがほんとうに地震の影響なのかというと、先の雪崩と同様、証明のしようはないと思うが)。
いずれにしても、今回の大震災が山や登山者にどのような被害をもたらしたかについては、はっきりわからない。調べようがない以上、それはどうしようもないことだ。

地震による山への被害というと、1998年8月の槍・穂高連峰を中心とした群発地震を思い起こす。上高地付近を震源としたこの地震は8月7日から始 まり、9月に入ってようやく沈静化したが、8月16日の真夜中にはM5・4という最大規模の地震が発生した。これにより、槍ヶ岳山荘では玄関前のテラスの 一部が谷へ落ちてしまったほか、ヒュッテ大槍や殺生ヒュッテなどでも石垣が崩壊し、ほかの山小屋でも食器や酒類が棚から落ちるなどの被害が出た。また、東 鎌尾根や涸沢岳付近など、岩の崩落によって登山道の数カ所が寸断し、計画の変更を強いられた登山者も少なくなかったという。不幸中の幸いだったのは、地震 が直接的な原因と思われる事故が起きなかったことだが(8月14日に涸沢岳で落石死亡事故が起きているが、地震との因果関係は立証されていない)、上高地 や槍・穂高方面への観光客、登山者は激減し、観光業者や山小屋関係者らは大きなダメージを被った。

登山中に地震に遭遇し、それが原因となって遭難事故が発生した場合においても、やはりその責任は登山者自身が負うことになると私は思う。原則的に登 山は自然のなかで行なわれる行為であり、地震がその自然現象のひとつである以上、地震に対するリスクマネジメントまで考えておくべきだ、というのがその根 拠だ。
もっとも、実際問題として、穂高の稜線を歩きながら「今、ここで地震が起きたらどうしよう」などと考える人はまずいない。そんなことを考えるよりは、今たどっている岩場をいかに安全に通過するかについて頭を巡らせたほうが、よっぽど現実的である。
私は、ほとんどの遭難事故は登山者自身のミスや油断、不注意などから引き起こされるものだと思っている。しかし、地震が原因で遭難事故が起きたとしたら、 それは不可抗力的な色合いが強く、いくら注意していようと回避するのは難しい。それを一方的に「登山は自己責任だから登山者に過失がある」と断じるのは酷 な話だ。
ただ、天災による事故だからといって国が損害を補償してくれるかといったら、たぶんしてくれないだろう。そういう意味で「責任は登山者自 身が負うことになる」と述べたのであり、たとえ100年だか1000年だかに一度の割合でしか起こらない地震であれ、万一遭遇してしまったときには自己責 任で対処するという覚悟は必要である。
まあ、地震はさておき、山のほかの危険因子——転滑落、転倒、道迷い、落石、悪天候、雪崩など——に対するリスクマネジメントについては、言うまでもなく決しておろそかにしてはならない。

ところで今回の大地震による津波で被害を受けたエリアは、過去にも何度か津波による被害を受けているところが多かったという。テレビや新聞などの報 道を見ていて興味深かったのは、その津波に対する地元住民の警戒意識に個人差が見られたことだった。実際に過去の津波の被害を体験している人にしろ、両親 や祖父母らから話を聞いただけの人にしろ、「津波は恐ろしい」という共通の認識を持っていることに変わりはない。しかし、その津波が再び起こり得ることと してとらえていたか、あるいは「まさか自分の身には起こるまい」と考えていたかは、人それぞれだったようだ。
津波のような天災の場合、警戒意識を 常に高く保っていても、いざそのときが来たとしたら、必ずしも難を逃れられるとは限らない。今回の震災でも、ふだんからことあるごとに津波の恐ろしさを 語っていた人が、助からずに命を落としているという。だが、日ごろリスクを身近なものとして認識している人は、万一のときにミスの少ない対処ができるもも のだ。少なくともそういう人が助かる確率は、警戒レベルが低い人よりは高いと思う。
それは山の事故も同じである。今日、これだけたくさん起きている遭難事故を「対岸の火事」と見るか、あるいは「明日は我が身かもしれない」ととらえるか。それによって事故を起こす確率は高くもなるし低くもなる。
人 間は忘れる生き物である。どんな大きな災害や事故であっても、いつかは人々の記憶から忘れ去られていくものだ。それはどうしようもないことなのかもしれな いが、だからこそ語り継いでいくことが必要になる。天災にしろ事故にしろ、大事なのは、起きてしまったことから教訓を得ることであり、それをいつまでも風 化させないこと、忘れないことだ。
それが、東日本大震災から私が得た教訓のひとつでもある。

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